ある雑誌で総合型選抜の受験対策への話を見て、違和感を感じた。その違和感の正体は何なのか?言語化してみた。

採用する側は、受験対策した子どもを採用したいのだろうか?

採用側は、自ら、これをしたい!という志があり、それに向かって行動している子どもを採用したいのではないだろうか?

受験対策をした子どもが、本心とは異なる行動により合格した場合、その子どもは幸せになるのだろうか?

そもそも自主性があり、行動してきた子どもを採用して育てたいからある選抜方法なのではないか?

だから、受験対策ではなく、自分を見つめ直し、何に夢中になるか考え、見つけ、それに向かって行動できる子どもを育むことが必要ではないか?

受験対策と考えてしまうのは、何が原因なのか?

原因は、受験して合格することが目的になり、その学校で何をやりたいかを考えてないからではないだろうか?

 総合型選抜かどうかにかかわらず、合格することが目的になってはいけないと考える。その先に、自分の目指すものがあり、受験はその通過点でしかない。

 そう思えないのであれば、その受験が自分の目指すものに繋がってるのか今一度、考え直してほしい。

もちろん、その先に目指したいものがある人は、自分の夢中になることをさらに磨きをかけ、それを総合型選抜の面接で、笑顔で説明すればよいと思う。

(写真は美ら海水族館のジンベイザメ)